言語化と実在性


言葉にされないものに実在はあるのだろうか、と、思う。

別に的確とか誰にでも分かるとか学術的である必要とかは関係なく、
例えば、
「なんかもやっとする」
という表現の『もやっと』なんて、抽象的であるにも拘らず、
非常に通りのいい表現だと思う。

太陽の色が白だろうが黄色だろうが赤だろうが、
見てる目によって選ぶ色鉛筆やクレヨンに違いはあるけれど、
見た本人が言葉にしなくても画材にはしっかり色の名前がついている。

いい意味だろうが悪い意味だろうが、
何かを想ったことについて思えば、
それは何がしかの足跡になるけれど、
想ったことについて感覚だけで流してしまうと、
それを本当に想ったのかがさらに怪しくなる。

足跡ならいずれ自分を含む誰かが見つけられるかもしれないけれど、
想った感覚だけというのは、もう残り香みたいなものだと思う。
過ぎ去ってしまったら、それについて何の検証も出来ない。

無関心な第三者を必要とする類の実在ではなく、
経験知に近い実在。


要するに私が考え過ぎってことですよそうですよ。
要するに私が境界線が不安定ってことですよそうですよ。
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2016-07-09 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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アウトプット/エンドロール


時折というよりは度々、
いつもというよりは少なく、

自分のアウトプットについて考える。


こらえ性が無かったのだ、と思う。

脳内にあるイメージを「何か」に変換するために、
一番最初にやったのは絵本みたいなようなものだった。
納得いかなかった。

絵を上達させる執念が湧く前に、
作りたいものが別に出来た。
取り敢えず、絵をつけることは前回納得いかなかったから捨てた。
当然の帰結で文章になった。

幼稚園や学校で図画工作をやって、
取り敢えず図画より工作の方が何とか納得行った。
だけど工作だけだと、
脳内にある何かは出て来きれなかった。

取り敢えずスケッチは好きだったので、
スケッチは多少上達した。
どっこい、自分の好みが静止画だということが発覚した。
一枚絵に文字を重ねたりして遊んだけれど、
結局それは一枚絵で、前も後も無かった。

これと前後して、カメラを手に入れた。
まだフィルムも現像も安かった時代だ。
バカチョンカメラと自転車を手に持って駆け巡った。
何をどうやっても、人の気配が感じられないものが出来上がった。

この辺りでいい加減諦めが滲んできた頃、
楽器と場所を手に入れた。
ちょっと盛り返したかと思ったけれど、
どっこい、今度はやりたいことと機材と自分の能力のバランスが崩壊していた。
頭の中ではバンドアレンジまで出来上がっているのに、
自分一人ではギターやピアノさえ怪しい。
心折れた。

映像が撮れたら楽かな、と思ったこともある。
けれど、映像を撮るための機材と人材と時間と費用は、
辛うじて残っていた写真や楽器に対するそれに奪われてしまって、
実現することは出来なかった。

結局いっさいがっさいがこういう形で、
結局私は自分の脳内イメージに心を殺され続けている気がする。

そこで折れるのが自分の限界だな、と常々思う。
ただ、そこで妥協して作品を作り上げることではなくて、
自分の脳内の何かと殺し合って、
絶対に譲らない辺りが私らしさなんだろうなぁ、とも思う。

脳内にあるそれらは、
私が作り出したものではなく「存在した」ものであって、
私の技量で勝手に改変できる程度のものではないと思うのですよ。
それに誠意を尽くさないのは、侮辱だよな、と思ってしまって。

エンドロールを出せるほどの誠意を見せられないのが、
悔しさでもあり矜持にもなり。
本当のところ、早いうちに気付いてこらえていられれば、
映像作家か漫画家を目指すべきだったのではないかと思ったりします。
情報量の意味で。

でもそれをやったら今度は、
一人で原画から音楽まで作る映画監督とか目指しかねないので、
気付かなくて正解だったようにも思います。

脳内では既にエンドロールが始まりかけているものを、
どうして現実で改変できようか。

最終的に、自分に対しても原作至上主義者だということで。
2016-06-05 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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地下鉄雑想


ワンマン運転の地下鉄、最後尾。

読んでいる小説から目を上げて、遠ざかり曲がり見えなくなり続ける来た道を見る。
行く先が見えないより遥かに、来た道が見えない方が不安を煽るように感じる。

速度に、タイミングに合わせて、律儀に動く計器、表示達が、健気で泣きそうになる。
悲しさでも憐れみでもない何か。
無機物だけに支えられた感情。


電車が止まろうとする。
計器はまた、静かに下がっていく。
電車が止まりきり、私は電車を降りる。
2015-10-19 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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誰もいない風景


長い付き合いの人には「またかよ」って思われそうですが、
今日突如として、
「あ、私は誰もいない風景が好きなんだな」
という理解が降ってきました。

そりゃあまぁ、
書くもの描くもの撮るもの作るものほとんどに
「人の気配がしない」
と言われ続けてきたのでそれなりに自覚はありますが、
本当に唐突にその感覚が降ってきたのでした。

で、色々考えてたのですが、
私が好きなのは多分、
「もともとは人がいたけどいなくなった」風景で、
案外と自分は自然の絶景とかに興味が湧きづらいんですが、
そうだよなー、
釧路湿原は人がいる風景じゃないしなー、とか思いました。
(多分、観光用の柵とか入ってれば好き)

人工物が人のいないところにある、みたいな感じが好きなのでしょう。
廃墟、機械、捨てられたものや置いて行かれたもの。
どっちが先かは分からんけど、
そういう風景に似合う植物達や爬虫類、蜘蛛も好きなことだし。
無機物や植物の持つ時間性と、
人間の持つ時間性のスパンの違い。
そういうものにくらくらします。
宇宙ほど遠くなく、動物ほど近くない、
二重露光の写真のような感じ。

たまには生き生きとしたものも作りたいんですが、
こういう嗜癖を持つ人間がどうやったら作れるんでしょうかね。
努力はしますが。
2015-03-30 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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あおいつめ


暑いのが嫌いだと思っていたけど、
そもそも自分の体は大概つめたいもんだった。

たいしたもんも着ないままで風に吹かれて、
風邪もひかずにひたすら冷えた。

冷たい空気に冷やされた冷たいアスファルトの上でアイスを食べるのも、
マグカップの湯気が冷えていくのをがたがた震えながら見ているのも、
フローリングや地面に裸足が冷やされていくのも。

体が冷えていく、
いろいろな過程。

足のつま先はじんじんして、
指の爪は白や紫になって、

だいたいいつも、
それしかないから、文字を書いた。
がたがたな文字を並べ立てて、
冷たい湯飲みやカップを口に運んで、また書いた。

ギターを弾けば指が血でも吹くかと思った。

大声出したら喉が凍った。

そんないつものこと。

今わたしはキーボードをはじいて、
そうやって出来た文字たちは、
真夏の暑さの中で書いたのと同じに、
無菌室の中身のようにおとなしく並んでいる。

私の歪んだ文字たちは、
歪んだまんま畳まれてしまわれている。
そしてきっと、この後も。
整うことなく。
2014-10-07 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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プロフィール

かざみ

Author:かざみ
つれづれなる海月のような生き方を目指しております。

thanks10000hit!(10/10/'16)
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