呪いの考察


思いついたのが手芸本たち、
確信したのが追悼文、
細部はこれから練っていく、
そんな呪いについての考察。

(畳みます)


想うことと願うことと祈ることは、
総じて呪いの亜種(というか希釈されたもの)なのではないかと思う訳です。

想うは感情、思うは理性や知性。

想うと思うは根本で違っていて、
<想う/願う/祈る>と<思う>にはものすごい溝があると思う。
前者は情、後者は知と意。
前者は呪術、後者は魔術。

最初に思いついた手芸本たちの、
「母が子供を守ろうとして作るものたち」の執念はものすごい粘度で、
それに慄いたからこんなこと思いついたんだけど、
つまりあれらは「悪いものが来ても跳ね返すように」という意味で、
一種の呪い返しな気がする。

それらをひっくるめて「呪い」と感じたのには、
その情のアバウトさとパワープレイ加減。
魔術が公式使って解いたのに対して呪術は手当たり次第、みたいな。
そもそも感情の話だから、アバウトで当たり前なんだけど、
具体的に何を目指しているのか分からない感情でも呪いは成立する。

それから、呪いというものは、基本的に対象が明確。
それが悪感情を持って相手に害するものか、
何か自分の大事なものや人を害する相手を許さないというものか、
方向性が逆なだけで、基本はおそらく同じだろう。

ところでここで言っている魔術は大雑把に、
西洋の魔術の流れやら陰陽道やら道教やらをイメージしているのだけど、
何と言ったって、魔術と呪いの境目は、
修行や勉強が必要か否かだと思うんですよ。

何の特徴もない平凡な人間が、
自分の感情だけで行えるところに呪いの本質があるような。
(そういう意味では、呪いと呪術の間にも溝があるかも)

つまり私たちは全て呪うモノとなりうる、という話。
人を呪わば穴二つ。
けれどもこれは単純に煮詰めたエキスの話であって、
上手く希釈すれば相手を大事にする気持ちやらに出来ると思うので、
呪いを忌避することよりも、
自分にもその素養があると肯んじて希釈する方法を模索する方がいいんだろうなぁ。

呪いも恨みも祟りも、
想いや願いや祈りがある限り、
きっと自分の隣で呼吸をしているのです。

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2015-02-02 : 散思考 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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