アウトプット/エンドロール


時折というよりは度々、
いつもというよりは少なく、

自分のアウトプットについて考える。


こらえ性が無かったのだ、と思う。

脳内にあるイメージを「何か」に変換するために、
一番最初にやったのは絵本みたいなようなものだった。
納得いかなかった。

絵を上達させる執念が湧く前に、
作りたいものが別に出来た。
取り敢えず、絵をつけることは前回納得いかなかったから捨てた。
当然の帰結で文章になった。

幼稚園や学校で図画工作をやって、
取り敢えず図画より工作の方が何とか納得行った。
だけど工作だけだと、
脳内にある何かは出て来きれなかった。

取り敢えずスケッチは好きだったので、
スケッチは多少上達した。
どっこい、自分の好みが静止画だということが発覚した。
一枚絵に文字を重ねたりして遊んだけれど、
結局それは一枚絵で、前も後も無かった。

これと前後して、カメラを手に入れた。
まだフィルムも現像も安かった時代だ。
バカチョンカメラと自転車を手に持って駆け巡った。
何をどうやっても、人の気配が感じられないものが出来上がった。

この辺りでいい加減諦めが滲んできた頃、
楽器と場所を手に入れた。
ちょっと盛り返したかと思ったけれど、
どっこい、今度はやりたいことと機材と自分の能力のバランスが崩壊していた。
頭の中ではバンドアレンジまで出来上がっているのに、
自分一人ではギターやピアノさえ怪しい。
心折れた。

映像が撮れたら楽かな、と思ったこともある。
けれど、映像を撮るための機材と人材と時間と費用は、
辛うじて残っていた写真や楽器に対するそれに奪われてしまって、
実現することは出来なかった。

結局いっさいがっさいがこういう形で、
結局私は自分の脳内イメージに心を殺され続けている気がする。

そこで折れるのが自分の限界だな、と常々思う。
ただ、そこで妥協して作品を作り上げることではなくて、
自分の脳内の何かと殺し合って、
絶対に譲らない辺りが私らしさなんだろうなぁ、とも思う。

脳内にあるそれらは、
私が作り出したものではなく「存在した」ものであって、
私の技量で勝手に改変できる程度のものではないと思うのですよ。
それに誠意を尽くさないのは、侮辱だよな、と思ってしまって。

エンドロールを出せるほどの誠意を見せられないのが、
悔しさでもあり矜持にもなり。
本当のところ、早いうちに気付いてこらえていられれば、
映像作家か漫画家を目指すべきだったのではないかと思ったりします。
情報量の意味で。

でもそれをやったら今度は、
一人で原画から音楽まで作る映画監督とか目指しかねないので、
気付かなくて正解だったようにも思います。

脳内では既にエンドロールが始まりかけているものを、
どうして現実で改変できようか。

最終的に、自分に対しても原作至上主義者だということで。
スポンサーサイト
2016-06-05 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
コメントの投稿
非公開コメント

Pagetop
« next  ホーム  prev »

プロフィール

かざみ

Author:かざみ
つれづれなる海月のような生き方を目指しております。

thanks10000hit!(10/10/'16)
把握出来る数字を飛び越えました!

FC2カウンター

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

< 2017年06月 >
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

QRコード

QRコード