言語化と実在性


言葉にされないものに実在はあるのだろうか、と、思う。

別に的確とか誰にでも分かるとか学術的である必要とかは関係なく、
例えば、
「なんかもやっとする」
という表現の『もやっと』なんて、抽象的であるにも拘らず、
非常に通りのいい表現だと思う。

太陽の色が白だろうが黄色だろうが赤だろうが、
見てる目によって選ぶ色鉛筆やクレヨンに違いはあるけれど、
見た本人が言葉にしなくても画材にはしっかり色の名前がついている。

いい意味だろうが悪い意味だろうが、
何かを想ったことについて思えば、
それは何がしかの足跡になるけれど、
想ったことについて感覚だけで流してしまうと、
それを本当に想ったのかがさらに怪しくなる。

足跡ならいずれ自分を含む誰かが見つけられるかもしれないけれど、
想った感覚だけというのは、もう残り香みたいなものだと思う。
過ぎ去ってしまったら、それについて何の検証も出来ない。

無関心な第三者を必要とする類の実在ではなく、
経験知に近い実在。


要するに私が考え過ぎってことですよそうですよ。
要するに私が境界線が不安定ってことですよそうですよ。
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2016-07-09 : ひとりがたり : コメント : 0 : トラックバック : 0
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